2011-01-01から1年間の記事一覧

流れはあるのか

流れを読む、とはどの分野でも言われることだが、カルカソンヌでの流れとは何だろうか。 コマの巡り&回収度合い、残り札の傾向、点の伸びしろ、追うか逃げか。その一手はしっくりくるかどうか。

見通しを読むことと、読ませないこと。

相手がコマをおく時、あるいはむしろ意図的におかない時に、その見通しが現れる。読み取ることができるか。 自分の見通しを示さずにいることはできるか。

大きな街への対処例

相手が大きな街を進めていて、こちらが相乗りしづらいとき、二方泣き別れで大きな街を分断してこちらはいくばくかの点を取っておく。 状況によっては、これがリスクヘッジになる。少ない確率だが大きな得点になりそうな案件とどう向き合うか。 大きな街への…

終盤の思考について

残り20枚あたりから、まだ引かれていない札たちが盤面の周りを椅子取りゲームのように回ってはそれらしいところに収まり、また回る、というような夢を見た。 起きている時もそんな思考ができるようになりたい。

分の悪いように見える展開の時

運勝負にまで展開を戻せたら、良しとしよう。その時、コマを残せれば勝負を続けられる。 分は負けていても、見通しで勝る事はできる。 相手の見通しはいかほどか、について見えていない事の自覚が今日の成果。

不可解さは何を自分に考えさせるのか?

一見、札の引き運が悪い、と思う連敗。不可解な札の配布は、何を自分に考えさせるか。 あるいはうまく立ち回ることで勝つこともできたのではないか、と考えることに意味はない。原因を探る事で、過去を変える事ができると、あり得ないかんちがいをするのが、…

集中力?

湖畔にてカルカソンヌを二戦、プレイ中に水辺を見る余裕さえないことに気付く。これが今日の成果。

結果よりも、そこへ至るそれぞれの一手に、意味と方向性を見つけること。

たまたまの大差での勝ち。 21点の道に相乗りできたり、24点の草原を取れたり、教会を短期間で完成させることが出来たり、良いタイミングでコマを閉じ込めることが出来たり、しかもそれを持つとも望んだ札でできたり、60点差で勝ったり。 それを運だから、と…

再開?

しばらくぶりに遊ぶ。中盤から終盤にかけて伸び悩むものの、残り15枚から先はすべての札を味方にすることができることに気付く。そこだけが今日の成果。

サボっている

プレイしていないこの期間さえ、大事な過程だ。普段の生活における気づきをカルカソンヌに活かせるなら、愉快だろう。次回を楽しみにする、インターバル。

不可解さが自らの課題に見える

勝つ時は確信とともに勝ち、負けるときには不可解さを伴い負ける。成長するには最適の条件だ。その不可解さを追う。盤面に全て情報が示されているなら、事が分からないのは自分の見落としだ。発見には観察と空目が適していると思う。

新しい練習

我が身の中にいる小人、自分の中に眠る道すじ。 カルカソンヌをこれらのたとえ話と考えると、いつでも練習になる。 自分によくきく練習、自分をみる練習。言いすぎだろうか?

古くて新しい問い

今回は相手側に目立ったミスは無かった。しかし、こちらはコマが各々の役割と出番を分担し、欲しかった場所へright pieceがじきにやってくる。やりたいことが同時に複数あって、しかしそのどれもが急がなくとも良い。そんな見通しがある時は、たいがい勝つて…

20点差を追いかける展開も、引き離している時も、心境は同じでありたい。追いかける時の方がより落ち着いていたりする。運で勝ちを拾い、ミスで敗れるというのは本当だ。そんな試合ばかりになってきた。であればこそ、次の一局を楽しみにする。

継続は力なり。

体調と集中とリラックスは、カルカソンヌをプレイすることで整うか?整うと感じる日は続けて見るといいと思う。 そう思わないなら、休んでもいいと思う。 続ける作法にさえ、いくつかの最善手がある。

一局終えて、

自分と相手のミスに気付くことは、ままある。今まで普通と感じている一手に新たにミスを見出すために、どうしたら良いのか。問いを思いつく、ということが本当に大事だ。自分が問うたものだけしか気づくことはできない。 自分が気づいたものだけしか身につか…

文脈と札の出番

どんな試合でも、ことごとくついていないという事はない。大きなポイントを担うまさにその時にクリティカルピースを引けるか?なんて状況は、大抵旗色が悪い時だ。クリティカルピースなんてない、と言う事はファインプレーがないと言うことと似る。場に出た…

読みたい

カルカソンヌに関する言説をTwitter以外の媒体で読みたい。カルカソンヌ研究所の新たな記事も気になっている、更新するだろうか。他にもなにか良いものはないか? 読みたいものが見つからない時は自ら書くしかない、と内田樹さんは言う。記事を書いた時の自…

やっぱり勝ちたい

どんなに勝つても、いつもの話をつづけるなら、していないことと変わらない。 勝負のドキドキや、勝ちたい意欲と発見は相関するか? こうか?でなく、どうなんだろうか?という問いを。

ポイントを得ようとすることと、その行為のリスク

ポイントを得るためのコマの派遣はリスクがある、その不安定さゆえに。だからこそコマを敢えて置かない戦術が使われる。そのポイントが欲しいから、というだけでコマの派遣をするのは、寂しい。盤面の、そして待ち札のプロパティを見よう。 いつでも応じられ…

プランについて

平地に2人行ってもらって、平地を広げながらリップを作る。結果として上手く行って勝敗の鍵になった。序中盤から狙っていたことだ。このプランは中後半で頓挫する可能性がなかったか? プランとは今だけのものだ。書換えが要るか。

全ての札を味方にせよ。

「全ての札を味方にせよ」、取り組みがいのあるテーマだ。 その先はコマに関する考察かもしれない。

荒れる盤面

序盤から盤面が荒れて、うかつにコマを置けない状況が中盤まで続く。そんな中、未完成教会を2つ持つ相手との点差を埋められず、そのまま終了。こんな展開を相手は読んでいたのか。 だとしたら、手をこまねいて状況を変えようとした自分に勝ちは遠いだろう。

予感

全てが上手くゆくとき、結果として勝っている。 この文面だけでは、当然としか言えないが、なにしろそうなのだ。

サイン

今回の勝負は、手元にコマひとり残せるかが勝敗を分ける、と気付くことがある。 こんな時はブロッキングに精が出るし、その威力を実感する。なぜ、気づいたのだろうか? はっきりとは言えないが、相手のコマが何だか帰ってこなそうな配置だった。「二方泣き…

練習

もっぱらアプリでプレイしていたところだが、同時に紙の札で盤面再現をする。というより、紙の盤面で思考してアプリへ反映させてみる。目と手が忙しく、まだ十分な思考ができずにいる。 なにか見つけることができるだろうか。

カルカソンヌ日本選手権

カルカソンヌ日本選手権が開催された。参加者53人が予選5戦を行い、戦績上位4名が決勝トーナメントを戦うというものであったが、予選を終えて4勝1敗が10人並ぶというのは、上位10人のレベルの高さを感じることができる。 自分はエントリーに間に合わ…

望むこと

カルカソンヌをプレイする自分にとって、望みは何だろうか。勝つことではない、これは即答できる。できるが、プレイ中につい思っている。 上手くなりたい、これは分かる。ただ、これでは少し寂しいし、何だろう、薄い。 楽しみたい、これは大事だ。しかし、…

1/2

確率二分の一の勝負を拾ったゲームは、後味が悪い。 苦しい展開の時はまだしも、差のつきにくい展開であった時は、疚しさを感じるようになった。

ミスとその反対

ただひとつのミスが勝敗を分けることを何度か見てきた。 では、正しい手とは何か? いや、この問いは成立するか?この問いは妥当か?