2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧
どんな試合でも、ことごとくついていないという事はない。大きなポイントを担うまさにその時にクリティカルピースを引けるか?なんて状況は、大抵旗色が悪い時だ。クリティカルピースなんてない、と言う事はファインプレーがないと言うことと似る。場に出た…
カルカソンヌに関する言説をTwitter以外の媒体で読みたい。カルカソンヌ研究所の新たな記事も気になっている、更新するだろうか。他にもなにか良いものはないか? 読みたいものが見つからない時は自ら書くしかない、と内田樹さんは言う。記事を書いた時の自…
どんなに勝つても、いつもの話をつづけるなら、していないことと変わらない。 勝負のドキドキや、勝ちたい意欲と発見は相関するか? こうか?でなく、どうなんだろうか?という問いを。
ポイントを得るためのコマの派遣はリスクがある、その不安定さゆえに。だからこそコマを敢えて置かない戦術が使われる。そのポイントが欲しいから、というだけでコマの派遣をするのは、寂しい。盤面の、そして待ち札のプロパティを見よう。 いつでも応じられ…
平地に2人行ってもらって、平地を広げながらリップを作る。結果として上手く行って勝敗の鍵になった。序中盤から狙っていたことだ。このプランは中後半で頓挫する可能性がなかったか? プランとは今だけのものだ。書換えが要るか。
「全ての札を味方にせよ」、取り組みがいのあるテーマだ。 その先はコマに関する考察かもしれない。
序盤から盤面が荒れて、うかつにコマを置けない状況が中盤まで続く。そんな中、未完成教会を2つ持つ相手との点差を埋められず、そのまま終了。こんな展開を相手は読んでいたのか。 だとしたら、手をこまねいて状況を変えようとした自分に勝ちは遠いだろう。
全てが上手くゆくとき、結果として勝っている。 この文面だけでは、当然としか言えないが、なにしろそうなのだ。
今回の勝負は、手元にコマひとり残せるかが勝敗を分ける、と気付くことがある。 こんな時はブロッキングに精が出るし、その威力を実感する。なぜ、気づいたのだろうか? はっきりとは言えないが、相手のコマが何だか帰ってこなそうな配置だった。「二方泣き…
もっぱらアプリでプレイしていたところだが、同時に紙の札で盤面再現をする。というより、紙の盤面で思考してアプリへ反映させてみる。目と手が忙しく、まだ十分な思考ができずにいる。 なにか見つけることができるだろうか。
カルカソンヌ日本選手権が開催された。参加者53人が予選5戦を行い、戦績上位4名が決勝トーナメントを戦うというものであったが、予選を終えて4勝1敗が10人並ぶというのは、上位10人のレベルの高さを感じることができる。 自分はエントリーに間に合わ…
カルカソンヌをプレイする自分にとって、望みは何だろうか。勝つことではない、これは即答できる。できるが、プレイ中につい思っている。 上手くなりたい、これは分かる。ただ、これでは少し寂しいし、何だろう、薄い。 楽しみたい、これは大事だ。しかし、…
確率二分の一の勝負を拾ったゲームは、後味が悪い。 苦しい展開の時はまだしも、差のつきにくい展開であった時は、疚しさを感じるようになった。
ただひとつのミスが勝敗を分けることを何度か見てきた。 では、正しい手とは何か? いや、この問いは成立するか?この問いは妥当か?
調子が悪い時、のらない時、集中が続かない時、もう一戦すれば良い結果を得ることができるだろうか? できることもあると思う、ただ、良い過程を得ることは難しい。
アプリのカルカソンヌでは楽に勝たせてもらえる展開は一度もない。
今のところ、20点差までは挽回が効きそうだ。 追いかける展開であっても、残り20枚からの追込みの準備を積んでおこう。逃げる展開なら、得点にならないが相手のチャンスをつぶすために、コマひとり位は揺動に回したい。
互いにフツーの手を打ち続ける展開では、運勝負を警戒してしまう。 ゲーム中に数回は変わった一手が出てくる。ミスである事の方が多いが、このひとつのミスが勝負を決める事が良くある。おそるべし。しかし、変わった手によって展開を引き寄せることも、ある…
たとえ20点差を追う展開でも、盤面が頼もしくのびやかで安定しているかぎり、機会はめぐってくるのではないか? 72枚の札は必ずでてくるから。頼もしくのびやかで安定している盤面とは、どんなものか?待ち札の種類が多いことが条件の一つであることは間違い…
残り20-25枚あたりから、追込みをかける。 札を持つ者は相乗りを、大きな街や道を持つなら発展を、何もないなら荒らしを、皆したい。 追込みの準備はいつ頃から始めたら良いか?争いの激しい中盤にそんな余裕があるのか? 一手に込めるニュアンスを豊富にし…
自分の手番の配置で生じさせてしまった「危うさ」には、必ずとは言わないが大抵付け込まれる。危うさを感じることはできるので、自分はそのまずい手について何らかの理解があるはずだ。 危うさって具体的には何だろう?
残り15枚、というところで、残りの札のうち12枚が自分の欲しい札となっている事に気付く。 この先、どうなっても勝つだろう、と静かすぎる確信が出る。果たしてそのとおりとなる。今回は、おそらくたまたまの必然でうまくいったが、その時の味わいを感じられ…